エッセイNo.4

Miuller博士の奇妙な見識シリーズ その1
Mad M Miuller

 非ユークリッド空間と遠近法 (1)


 1.遠近法の謎

 昔、「バニシング・ポイント」という映画があった。
 内容は省くが、アメリカの荒野に真っ直ぐ伸びるハイウェイが舞台で、その地平線の向こうに点となって消えていく風景が、タイトル「消失点(バニシング・ポイント)」の由来になっていた。同時に、主人公が死に向かって突っ走っていく姿を暗示するものでもあった。

図1
図2

 画家諸君が画面で利用している「線遠近法」は、この水平線上の一点から直線を引くことで奥行きを作り出す方法であることは知っている。いわゆるパースペクティヴ(透視図法)というヤツだ。
 では、その原理から言えば、このハイウェイの真ん中に立って見ると、地平線の一点から広がってくる道路は、私の後方ではさらに広がっていくはずだが・・・
 そんなことはなく、後ろを振り返れば、まただんだん細くなっていくだけである。
「そんなのは当たり前、後ろもパースペクティヴの原理が働いているからだ」とおっしゃる貴兄諸氏。百歩譲って、それが正しいとして、では前・後の二点から広がってきた接点はどうなっているのだろうか。直線で結べば、どこかに角ができてしまうではないか。
 いったいぜんたい、これはどういうわけだろう!?

 さらにもうひとつ、図1をごらんあれ。いわゆる、一点透視図法で描かれた床のタイルと思っていただきたい。
 ここでは画家はタイルの右側、やや上方から下を見下ろしている位置にいる。当然右より左側の方が、遠くにあることになる。
 遠くにあるものは小さく見えるという原理からすると、辺Aより、Bの方が短くなるはずである・・・が、どうだろう。まったく逆、長くなってしまうではないか。
 さらにもっと左側にあるタイルは、遠くへ行けば行くほどどんどん長くなってしまうことが判るだろう。これに至っては、もともとの寸法である下辺の長さより、側辺の長さが長くなってしまう。これではどう見ても正方形には見えない。
 と、言うことは、600年近く画家たちが信じ込んできた遠近法が、実は間違いだったというとになってしまう!!!

 実は、これらは、道路やタイルの辺が直線であるという前提に立っていることから生じる誤りなのだ。もし、これを放棄すれば、問題は解決する。
 たとえば、こう考えてみよう。前方の一点から広がってきたハイウェイは、道の真ん中に立つ私の脇を中心に緩やかな放物線を描いて、再び後方に縮んでいくのだ。これなら、前後から広がってくる平行線同士は、角を持つことなく滑らかに接続できる。また同様に、タイルも定規を使わずに描けば、遠くの辺の長さを短くできる。
「そんなことはありえない」と言うなら、実際に廊下や広い室内の中央壁際に立って、対面の壁を見てみたまえ。正面の壁は最も近いため、天井までの高さは最も高いが、左右に遠ざかるに従い、だんだん低くなって見える。と言うことは、天井の高さは曲線を描いていることになるだろう。
 しかし、われわれの眼には、どう見ても天井や道路は真っ直ぐに伸びる直線にしか見えないし、タイルだって平行四辺形にしか見えない。ましてや、「アテネの学堂」の空間がパースペクティヴで描かれているからといって、間違っているようには絶対に見えない。
 ここでまた、「どうして!」と叫んでしまうだろう。

(図3)ラファエルロ「アテネの学堂」
典型的なパースペクティブ(1点透視図法)で描かれいている。消失点は、中央のプラトンとアリストテレスの間にある。
遠くのものが小さく見えるという原理がパースペクティブであるのにもかかわらず、床の大理石の正方形では、遠くの辺が長くなってしまうという矛盾が生じる。また、ドームの柱は上方に向かうに従い、間隔が狭まって行くはずであるが、すべて平行線で描かれている。
これは上方にもう一つの消失点を設けて、パースペクティヴを作ること(2点透視図法)で解決できることを知っていただろうが、ラファエルロはあえて使わなかった(あるいはそう見えなかった)。しかし、実際にはこの作品でわかるように、床も柱も、その矛盾をまったく感じることはなく、むしろ自然に見えてしまう。
右下には、コンパスを持ったユークリッドが描かれている。
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